親父の存在は考えられないくらい大きいことがわかりました
今週のお題「私のお父さん」
私にとっての親父は何より大切でした。
居なくなってからというもの色々なことで助けられていたことがわかりました。
私がLEDイルミネーションをツリーっぽくどうやって取り付けようか迷っていた所、
親父が鉄パイプ上端に多数の針金を上手に折って上手く引っ掛けられるように
してくれてそのアイデアが凄いと思いました。私では考えられませんでした。
既存のあるものからどうすれば目的が達成できるかを考え、
なるべくお金をかけず上手く工作します。
他、倉庫の設置の仕方が尊敬するくらい上手でした。
ちゃんと土台から斜めにならないように水平器で調整し安定させました。
あれは親父の建築士としての知識がないと無理だと思いました。
それなのに私はたかが2級の免許で・・・と大して凄いと思っていませんでした。
2級だって親父は1級でもできない親父のセンスがあったように思います。
工作の技術は本当に凄かった。木を電鋸でスパスパ躊躇なく切って設計どおり
上手に完成させてました。私ではとても出来ませんでした。
親父はしょっちゅうゲームばかりしてました。
入院する直前までやってたことはそれほど好きだったのか・・と思いましたが
今思えば癌の痛みを紛らわす為にやっていたように思います。
えらいえらいと入院する2週間くらい前からいつも言っていました。
事の発端は3年くらい前の私がアウトレットの寅福でバイトして1年位経った頃だった
と思います。肝臓に大きな癌が2つ程出来ていて、正直親父は長くないと思いました。
そこで私はなんとかならないだろうかネットで色々調べ漢方やサプリを親父に薦めて
飲んでもらいましたがその後の検査で癌が3つになっていて効いてないことが
わかりました。セカンドオピニオンで相談し粒子線治療が有効であることがわかり
親父は兵庫に治療を受けに行きました。兵庫でとりあえずは癌数値がさがったので
様子を見ていたらその次の検査で数値が上がりだしてネクサバールという分子標的治療薬を飲むことになりそれで足が凄く痛む副作用とかでたりもしました。
ユーエフティT100という抗癌剤に変えてから2,3日後に途端に嘔吐が激しくなり
http://allabout.co.jp/r_health/healthdb/medicinedb/detail/361925/
1か月後位にネクサバールに戻したようです。
戻しても咳が出るようになり咳が続き次第に呼吸もえらくなってきたみたいで
しばらくしてから我慢できなくなり妹が病院へ連れて行って連れて行った次の日
行ったときはまだ話はかろうじて出来ていましたが11日の認定日をすぐに終えて家に帰ってばあちゃんを眼科に連れてって明日のジンチャレセミナーを道路脇で予約してそのまま瑞浪の歯医者へ行きその近くにある図書館で本の延長して帰宅して
そのときばあちゃんも帰宅してたので一緒にいたとき母さんから危篤になったと連絡があり総合病院へ直行。その頃はまだ意識があったものの朦朧としてて眠ったようになってて一時的に意識が戻ってまたぐったりしてしまった。ベッドを楽になるように立てて調節したけどまた眠ってしまった。この日病室を移ったらしい。それでか移動するときの衝撃で白目になったりしたみたいでこの時危篤になったらしい。部屋を移動しなければもう少し持ったかもしれない。
次の日の朝2時に息が遠くなったと連絡があり4時に息を引き取った。
妹が5時頃だったか私の寝ている所に来て行こというからもう亡くなったことを理解し
病院へ二人で向かった。
あとから様々な親戚が病室へ訪れた。急なことで涙している人も居た。
親父には私が丁度AKB総選挙のあった8日の新宿代々木の活性乳酸セミナーへ行ってもらってきた
ラックルを飲んで欲しかった。1,2回は酸っぱいといって飲んでくれたものの
その後直ぐ病状が悪化してしまい沢山のませられなかった。
もっと早くに飲ませてあげてればまだ持ったかもしれないと無念でなりません。
親父との思い出は2011/11/6紅葉が綺麗な田瀬に行ったときに撮った写真です。
岩屋ダムとか行きました。そこで母さんと撮った写真が宝物です。
あの時はこんなことになるなんて想像すらしてなかった。
本当に残念です。
本当はこの後新海誠の新作言の葉の庭を見に行く予定だったが完全にそれどころでは無かった。放心状態で見ても入ってこなかったので行く意味がないし(-_-;)
AKB総選挙もどうでも良くなってしまったorz
私と似た境遇の人を発見した。http://karu.blog.so-net.ne.jp/2011-03-02
この人は父をC型肝炎からくる癌で亡くしている。
この人の気持ちがすごくわかる。骨になった親父を箸で骨壷に収骨するのは
やるせない気持ちになる。
家の祖父祖母も結構な年齢なのでいつまたこんなことをしなければなかないときが
くるかわからない。
じいやばあやには元気でいてほしい。きんさんぎんさん以上に大往生でと願っている。